デズモンド・ドスとは デズモンド・ドスとは

 1919年2月7日ヴァージニア州生まれ。子供の頃から人を助けることが好きだったデズモンド・ドスは、ラジオで事故のニュースを聞いて輸血が必要な女性がいると知ると、片道約5キロも歩いて病院へ行き献血をしたという。
 大人になったデズモンドは、実際には教会でドロシーと出会う。当時、造船所で働いていたため兵役を延期することができたが、「命を奪うのではなく救いたい」と軍に入ることを決め、本格的な訓練が始まる前の1942年にドロシーと結婚する。デズモンドが武器を持つことを拒否したのは主に信仰心によるが、大きな転機となったのは、酔った父がケンカになった叔父に銃を向けたこと。映画ではそれが、父と母に置き換えられている。
 ライフル部隊に配属されたデズモンドが、同僚から嫌がらせを受けたのは事実。サム・ワーシントン演じるグローヴァー大尉は、上官にデズモンドを別の部隊に異動させるべきだと進言した。しかし、後に大尉は「彼が僕の命を救ったんです。皮肉ですよね。彼は最も勇敢な人物です」と語っている。
 ハクソー・リッジで仲間が撤退した後にも戦場にとどまり、もやい結びで一人ずつ崖から降ろしたのもすべて事実。デズモンドはその理由を、負傷した仲間たちより自分の命に価値があるとは思えなかったと語っている。
 戦後は、傷の後遺症に苦しみながらも家具職人として働き、ドロシーとの間に息子も生まれるが、1991年にドロシーが交通事故で亡くなる。2006年3月23日逝去。享年87歳。

〈良心的兵役拒否者とは…〉

宗教上などの信念に基づき、兵役を拒否する者のこと。アメリカでは建国当時から存在し、第二次世界大戦中も認められていた。戦争に参加しないという選択肢があったにも関わらず、ドスは自らを“良心的協力者”と呼んで従軍している。

良心的兵役拒否者とは

デズモンド・ドスと太平洋戦争

場面写真

Production Notes Production Notes

亡くなる数年前にようやく許した映画化 亡くなる数年前にようやく許した映画化

 デズモンド・ドスが1945年10月にトルーマン大統領から名誉勲章を授かった時点から、彼の物語を映画化したいと考える人々が現れ始めた。しかし、デズモンド本人は静かな生活を送ることを選び、これを拒み続けた。2006年、デズモンドは87歳で亡くなったが、実はその数年前に、本作のプロデューサーのテリー・ベネディクトに、映像化の承認を与えていた。プロデューサーのビル・メカニックは、「デズモンドは人生の終盤になってようやく、彼の行為が語り継がれるべきだと言う人々の説得に応じたのだ」と説明する。
 メカニックは、ピューリッツァー賞に輝く脚本家のロバート・シェンカンに脚本執筆を依頼する。メカニックとシェンカンは、デズモンド本人の証言と陸軍の記録を徹底的にリサーチし、たとえ戦場でも人を殺すことは誤りだというデズモンドの揺るぎない信念がいかにして形作られたかを突き止めた。
 メカニックはこう説明する。「デズモンドが下した決断について理解するには、彼の来歴を深く知ることが不可欠だった。両親からの影響や妻となるドロシーとの出会い、年若い時期に基盤を固めた信仰心などがきわめて重要だった」

なぜメル・ギブソンか―『ブレイブハート』に繋がる物語 なぜメル・ギブソンか―『ブレイブハート』に繋がる物語

 デズモンドが成し遂げた偉業を映像で再現するためには、できる限り実録そのままを心掛ける必要があった。つまり、この映画の監督には大激戦を目眩がするほどのリアルさで再現できるだけの力量が不可欠なのだ。メカニックは、『ブレイブハート』でタッグを組んだメル・ギブソンに粘り強く打診した。「最初の脚本をメルに送ったのが2002年だ」とメカニックは振り返る。「メルは自分で温めてきたプロジェクトの方に精力を傾けていた。ところが3度目に送った2014年、メルは徹夜で脚本を読み、朝にはすっかりその気になってくれた。僕にとって本作は、『ブレイブハート』の姉妹作のように思えた。主人公の生い立ちや生きた時代は大きく異なるけれど、信仰、暴力、戦争というテーマは共通する」
 当のギブソンは、忘れ去られた英雄に光を当てる絶好のチャンスだと考えた。デズモンドは、たとえ世界中を敵に回しても、決して自らの信念を曲げない男で、そこに惹かれたのだとギブソンは語る。「最悪の戦場に武器も持たずに行くなんて、いったい誰が考える?」
 デズモンドは自らを、絶対に“良心的兵役拒否者”とは呼ばなかった。それは陸軍の用語であり、彼自身は自らを“良心的協力者”と呼んでいた。人を殺す義務を果たさなくても、大いに祖国に奉仕できると、揺るぎない信念を抱いていたのだ。「戦争に身を投じたいという情熱の強さでは、彼はまさしく戦争協力者だった。だが、命を奪うためではなく、救うために戦う者として従軍したいと考えた。そこに心を奪われたのさ」と、ギブソンは振り返る。

CGに頼らないリアルな映像で迫る史上最大の激戦 CGに頼らないリアルな映像で迫る史上最大の激戦

 のこぎりの歯を思わせる絶壁から“ハクソー・リッジ”と呼ばれた、沖縄の前田高地での戦いを、ギブソンはリアルなシーンに作り上げたいと考えていた。すでに独立戦争やベトナム戦争の戦闘シーンを描いてきたギブソンだが、今回初めて第2次世界大戦を描くことになった。
 ギブソンの作品へのアプローチは、とにかくできるだけ現実に近付けるというものだった。なるべくCGを使わずに、カメラでの撮影の効果を最大限に利用するのだ。メカニックがギブソン流アプローチについて解説する。「『ブレイブハート』から『アポカリプト』まで、メルのスタイルは“全てを実際に行う”だった。そうすることで観客は、まるで自分が実際にその世界にいるかのように感じられるからだ。」
 激しい照明弾が飛び交う戦場をセットとして再現するため、特殊効果担当のチームは新しい装置を作り出した。特殊効果の助監督であるロイド・フィネモアが説明する。「段ボール箱の中に、爆発物と飛び散っても安全な瓦礫を入れて地面に置くんだ。装置の中には閃光を発するための物質も入っているので、爆発の威力が大きいように見せることができる。」
 ギブソンがこう付け加える。「この装置によって、スタントマンたちは信じられないほど爆発に近付ける。撮影カットを 見せると、皆が『すごいCGだね。本物に見えるよ』と言うので、『これは本物の爆発だ。僕たちの特殊効果のチームはそれだけ腕がいいのさ』と答えたよ。僕はいつでも、瞬間の中にある真実を見つけ出そうとしているんだ。」
 メカニックは語る。「こうした爆発を見た観客は、自分が激しい戦闘の中に飛び込んだかのように感じるはずだ。その上、メルはカメラが戦闘のど真ん中にいるかのように撮影するので、衝撃がより強調されるんだ。」